自己満足から顧客満足へ、そして無心へ
――審査の心・技・体を求めて――
1. 顧客満足をいかに追求するか
ISCジャパンの審査方針として顧客満足をその基本に据えることを各審査員と共に確認し、その実践を心がけてまいりました。その中で顧客満足を追求し研鑽するには、まず自己の審査知識とスキルの向上による自己満足の充実を計り、その成果をもとに顧客満足に至る審査を実践することが必要であるとの判断に至りました。
自己満足を計り充実することは、そのニーズと得るものの多少はあれ、各人がそれぞれに実践し、教育、職務、資格、技能等の中で一定の成果を得ることができます。しかしそれが効果的に顧客満足として発揮されているかと言うとかなり怪しくなってきます。
どうすれば自己満足の成果が顧客満足に発揮できるのか、それが我々の審査活動充実の焦点となってきました。それを模索する中で日本古来の武道で追求される心技体(心磨、技練、体斉)を検討すると、技術の鍛錬や体を整えることは日々の生活と仕事の中で行っているが、心を磨くことは現代の我々の中では取り上げられることは少ないと言わざるを得ません。そして自己満足から顧客満足へ橋渡しをするのはこの心磨ではないかと思うに至りました。
心はどのようにして磨くことができるのか。
2. 武道にヒントを求めて
その模索の中に日本古来の武道にヒントがありました。優れた剣術家の心の錬磨に坐禅があり、彼らと禅僧の間の緊張感ある交流が見えてきます。
宮本武蔵と沢庵和尚の交流は、どうやら吉川英治氏の小説の中のフィクションのようですが、武蔵の晩年に至った絵画、著作に見える心境は紛れもなく禅の心です。柳生但馬守と沢庵の禅の交流は申すまでもなく、幕末の勝海舟と西郷隆盛も若い一時期禅をよくしました。両者の禅の心を持って江戸城無血開城が計られたと言われております。
禅は無心となる全ての行を言いますが、鎌倉時代以来武士の指導者の心の修行として、禅は日本のリーダー教育の根幹をなしてきたのです。一国一城を目指し、その自己満足を達成した後、リーダーとしていかに民百姓の信望を得て顧客満足を達することができるかが武士のリーダーの課題でした。
そして禅により示される無心の追求が、リーダーとしての資質の向上を計る修行となりました。
日本の近世を築いた信長も秀吉も家康も彼らの背後に禅僧とその具象としての茶の湯があったことは紛れもない事実です。
ところで禅で無心になると言うことは心がニュートラルの状態になるということです。ニュートラル(中立状態)になると外界の変化に直ぐ対応できます。
ボクシングのニュートラルポジションからジャブを繰り出す、スキーの動きの中で真上のポジションをキープする、剣道で正眼に構えるのはニュートラルポジションをキープし、よけいな力を入れずどんな外界や相手の変化にも対応することを目指します。これが達人の極意となります。
禅修行で無心になることにより、心のニュートラルポジションを保ち、いかなる外界の変化にも対応することが我々の参禅研修の目的と言えましょう。坐禅はその姿形がニュートラルポジションであり、心のニュートラルポジションである無心を得るための形から入る修行とも言えましょう。
その模索の中に日本古来の武道にヒントがありました。優れた剣術家の心の錬磨に坐禅があり、彼らと禅僧の間の緊張感ある交流が見えてきます。
宮本武蔵と沢庵和尚の交流は、どうやら吉川英治氏の小説の中のフィクションのようですが、武蔵の晩年に至った絵画、著作に見える心境は紛れもなく禅の心です。柳生但馬守と沢庵の禅の交流は申すまでもなく、幕末の勝海舟と西郷隆盛も若い一時期禅をよくしました。両者の禅の心を持って江戸城無血開城が計られたと言われております。
禅は無心となる全ての行を言いますが、鎌倉時代以来武士の指導者の心の修行として、禅は日本のリーダー教育の根幹をなしてきたのです。一国一城を目指し、その自己満足を達成した後、リーダーとしていかに民百姓の信望を得て顧客満足を達することができるかが武士のリーダーの課題でした。
3. 禅寺に通う
さて自己満足から顧客満足へ、そしてそれを可能にする無心になるための坐禅研鑽をどのように実践するのか、昨年来その研修が可能な禅寺とプログラムを探ってきましたが、岐阜の玉龍寺住職、宮前心山老師が提唱する、無心を極める禅の研鑽プログラムがあることを知りました。そして1年間この禅寺に通い、宮前老師の薫陶を受けることができました。宮前老師は、オーム真理教に係わった多くの元信者達を、無心の研鑽によりその呪縛から解脱させたことでもマスコミの間で知られております。
この経験をもとに、各審査員に無心を極める参禅研修を呼びかけ、本年10月23−24日に総数7名で玉龍寺にお伺いしました。そして1泊2日の短い研修の中で坐禅の指導を初めとした研修スタッフの皆さんの親切な対応と、宮前老師による全員一人一人の参禅(老師から公案---無心を悟る禅問題---の課題を頂いてそれに見解を述べ、老師の判断を仰ぐ)を行っていただき、参加者一同深い感銘を受けることができました。
この時頂いた公案(禅問題)は、絶対に助からない深い井戸に落ちた時どうするかというものでした。全員合格点は頂くことができない状態で玉龍寺を下山した今、各自がその解答を考え続けているのです。そしてこれだというものが見つかったとき老師にお伺いし見解を述べ、この公案をパスして今一つ無心に近づきたいと願っています。
老師から研修最後に「なりきることです」という言葉を頂戴しました。この「なりきる」ことこそ自己満足で得た成果を顧客満足に成就させ得る鍵なのだと理解した次第です。この修行で、なりきった無心の境地に至ることが日々の仕事と生活の中で心の幸せと充実を得ることができるのだと確信しました。
この参禅研修の経験と成果を受審企業皆様にも得ていただきたく、来年の第2回ISCジャパン参禅研修に審査員共々皆様をご招待いたします。交通費は自費となりますが是非ご参加をご検討下さい。
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坐禅。村田講師による朝晩2回の坐禅は30分間です。皆さん数ヶ月前から準備して無事こなしました。 |
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作務。本堂の縁の拭き掃除 |
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作務の中にも一服 |
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朝食は粥です。加藤副住職の食事五観文読経と共に頂いた古代米と小豆の粥は美味しかった。典坐(禅寺の炊飯長)さんに感謝 |
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宮前老師の講義。いかに無心にいたるか、そして「なりきること」 |
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研修無事終了。宮前老師と記念写真。でも頭の中は頂いた禅問題が湧いてくるのだ |
受講感想
■植野審査部長
研修においては宮前老師の講話に常に納得させていただき、審査活動における妥当性を逐一感じながら伺うことが出来ました。
また、さらなるレベルアップ、内部組織力強化のためのトレーニングとしても今回の“真人”
になるための事象に対する考え方・アプローチ、“成り切る”ことへの重要性は大きな意味
を持つことを感じることが出来ました。」
■川上主任審査員
「入山して、宮前心山老師の講話を聞いた。初っ端から度肝を抜かれた。ジョンレノンのイマジンを引き合いに「皆さんは宗教、神、国境はあると考えますか?」「皆さん、錯覚をしていませんか?これらは人間が作ったものです。」「凡夫を越えて真人(覚った人)になりましょう。」「平和と戦争、健康と病気、幸福と不幸のような対立軸で考えるから思い悩む。一旦、言葉や意識を消し去り、空(無)になりなさい。」「対象物に成り切りなさい。」
言葉に気合が入っていた。論理的で科学的な話であった。心に染みた。
公案(禅問答の問い)が出された。
「木の枝を口に咥えて釣り下がっている行者は【悟りとは何ぞや】という問いにどうするのか?」答えなければ導けない。答えれば木の枝から下に落ちて死ぬ。いずれにしろ絶体絶命の状況であった。
審査の場も同じ局面がある。指摘が顧客満足なのか、自己満足なのか。審査ではなくコンサルにならないか。本当にお客様のためになるか。
その夜、暗闇の本堂で坐禅を組んだ。指導者は言った。「姿勢を正して、邪気を出すことを意識して呼吸をして、丹田を突き出して下さい。そして心を整えて下さい。」初めて坐禅らしい坐禅を組めた気がした。
入浴後、審査員仲間で審査のあり方について、本音の対話が深夜まで続いた。とてもいい雰囲気であった。直接的コミュニケーションの相互作用がいかに大きいか。つくづく実感した。」
■蓮沼主任審査員
「当初、研修に臨むまでは、正直「仕事」=「宗教」何故?という感じ。また、巷で言われている「宗教」の類であり、神がかってしまうのではないかと少々不安に感じておりました。
しかし、宮前老師のお話を聞き、今まで私が感じていたカルト的な意識は無くなりました。
まさに、「禅」とは"自分改革"であり、人間の生きるべき本来のあり方を導いてくれる"人間マネジメントシステム"であると感じました。
また、「仕事」「私生活」全てに「禅」の考えが使えることも理解しました。特に今回の研修のキーポイントとなった「なりきる」これについては、まさにISOが衰退しない為のテクニックであり審査員にとって"経営者になりきる""管理責任者になりきる""各部門長になりきる"これこそが「提案型審査」であり「顧客満足」に繋がるという事がよく分かりました。」
■伊藤主任審査員
「純粋仏教の真人となることの重要性の教えの一部は、審査における審査員の資質に必要と思われる受審企業経営者に成り代わり、PDCAを確認し、その企業を安定・発展させるという強い意志と的確な洞察力を持ち続けるための方法を、老師の講話において"空"、"真人"、"成り切る"、"解脱"、"覚り"等の話を賜り、修行である坐禅や公案・入室参禅をすることにより、ヒントとなる或いは習得できることと考察した。
特に"成り切る"教えは受審企業の立場の理解に通じる部分が多く賛同できる。また、ともすれば強制的な洗脳教育になりかねない研修(適正な方向の教育であれば良いが)を聞き及ぶが、それらとは違い、公案(入室参禅)を通し自分の性格や潜在的な考えを自分自身で発見することができ、自己改革の一役にもなると考えた。(本来は"空"になる修行の一部だが、否定され続けるその途中で自己の潜在的考えを発見すると感じた。)」
■石井主任審査員
「初めての体験である事と日頃宗教関連にあまり興味ない(知識もないですが)私にとって、正直この研修がどのような形になるのか想像できませんでしたので、参加に向けて一つの目的を考えておりました。それは、「何も考えずにとにかく体験してみる」ことでした。
例えば、読経するときは間違えたり声に出すのが恥ずかしいとかそのような事は意識せず一生懸命声を出す とか。その結果として何か得られるものを一つでも得て帰ろうと考えておりました。
最後の時間でその答えは何かと自問して"成りきる事"と考えたその時、老師から"成りきる"とキーワードを言われ、今回の研修が間違いなかったことを確信しました。
非常にすっきりとした感覚を覚えました。」
■渡邊主任審査員
「今回の研修で学んだことは座禅をすることにより邪悪を捨て"真実"は何かというものを教えて頂いたことです。日頃の仕事を振り返ってみると心に迷いというものがどうしても存在してしまい判断の遅れが生じてしまう場合があります。顧客の立場にたった考え方が薄れてしまい自我の欲望だけが先行してしまう傾向になっていました。自分では顧客が何を求めているのかを模索してはいるのですが理解しようとしていなかったのではないかと反省しています。
自分としてはこうやりたいと思っても顧客の考え方とのギャップが発生し顧客が納得していない状態をつくりだしてしまっていたような気がします。そのギャップを減少させるためにも的確に顧客の情報を入手し、自分が理解するようにしなければならない。」
文責:有富 英洋